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大切な人が亡くなった時、後悔したこと

1 :大人になった名無しさん:2006/02/24(金) 12:25:06
両親や兄弟、祖父母や恋人が亡くなったった時、
伝えたかったことや、してあげたかったことはありますか?


私の両親も最近体調がすぐれないもので…

2 :大人になった名無しさん:2006/02/24(金) 12:31:46

    /~ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
  /  _/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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  (δ;;;;ヽ―'、:::::::,ノ~~(:::::::)
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   ゝ   /  С 。。 /
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     (    ( ━━)  < ぶひひん、見ろ、>>1がゴミのようだ
      |. \ ヽ  ̄ ̄/   \____________
      |.   \____ノ
   / `         \
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   (___|_(   /<ヽ/
    |       /
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     ヒl    ( \
          \二)

3 :大人になった名無しさん:2006/02/24(金) 16:06:24
このスレは夜に伸びるな

4 :大人になった名無しさん:2006/02/24(金) 21:49:55
おれは中学の時に父方の祖母を亡くした。
小さい頃から可愛がってくれた祖母だった。
明治生まれの人で我慢強い性格のため痛いとか苦しいとかは言わず、
ために入院した時は癌の進行はかなり進んでしまっていた。
夏休みだったので、おれは着替えやら食べ物やらを毎日一人で届けに行った。
いらないと言うのだが、ジュースを買えだの、お菓子を買えだの小遣いをくれた。
そんなこんなの日々が過ぎ、ある日母が言った。
「同室の患者さんが『毎日お使いに来てお孫さん偉いわね。』って言ったら、
おばあちゃん『お小遣い欲しさですよ。』って言ったて。」
それを聞いた時、おれは顔から火が吹きそうだった。
それ以後祖母のお見舞いに行くのを一切止めてしまった。
受験勉強だと言うのが理由だった。
しかし実際は同室の患者さんに顔を合わすのが嫌であったり、母の無神経な言
動に憤りを覚えたりしたのが本音なのだが。

その後、祖母は入退院を繰り返し、あっけなく逝ってしまった。

祖母の葬式も終わり、一段落してふと思った。祖母にはあんなに可愛がってもら
いながら、最期はろくすっぽ見舞いにも行かずに、生きているうちに感謝と謝りの
言葉をかける事も出来なかったという事を。

人との付き合いは長いようで実際は刹那の時間でしかない事を思い知った。
なぜあの時優しく出来なかったのか?なぜあの時誠実でありえなかったのか?
その後悔が無いように、一瞬一瞬悔いの無いように人と接したい。

祖母からはそんな事を学んだような気がする。


5 :大人になった名無しさん:2006/02/24(金) 22:21:12
ええ話や・・・

6 :大人になった名無しさん:2006/02/24(金) 23:37:40
じぃちゃんが死んでもう3年。癌だった。

両親がとも働きだったので、もっぱら祖父と祖母に面倒見てもらっていた。
二人とも、厳しいけれどやさしかった。

そんな祖父が入院した。
家族全員心配してたのにじぃちゃんはすぐ治ると笑って言ってた。
ほんとに直ぐに退院してきたのにはびっくりした。

それから少しして、
急にじぃちゃんの元気がなくなった。
病院で検査。癌と診断された。

私は、そのころ手術さえ成功すれば大丈夫。そう聞かされていた。

手術は成功。
最初のころは、よく病院にお見舞いに行ってたけれどだんだん面倒になっていき、
受験もあいまってほとんど行かなくなってた。
大丈夫だと、死なないと思ってた。

でも、
転移していて危険な状態だと、もう長くないと聞かされた。
嘘だと思った。家は大丈夫だと。でも、本当だった。

夜中に電話があって、すぐに病院にいった。
病室には腐ったにおいがしてた
じぃちゃんはもう骨と皮で、機械がたくさん取り付けてあった。
私は、じぃちゃんの顔を直視できなかった。昔のころとは違いすぎて。
家族が必死で呼びかけてた。私は、何も言えなかった。

なにかぼそぼそとしゃべっていた。私は、まったく聞き取れなかったけれど。

遅いから、ということで私だけ先に家に帰された。親の配慮だったのだと思う。

帰ってからたくさん泣いた。後悔した。

高校に入ったのを誰よりも喜んでくれていたのに。
制服ほとんど見せることできなかった。
人並みだけれど、感謝の気持ちを伝えたかった。
生きてるうちになんでも言っとかないと、孝行しとかないと後で絶対後悔する。

7 :大人になった名無しさん:2006/02/25(土) 03:54:32
・.゚・(つД`)・゚・.'

8 :大人になった名無しさん:2006/02/26(日) 08:10:31
age

9 :大人になった名無しさん:2006/03/06(月) 15:37:11
彼女とは年が離れていたけれど仲が良かった
彼女は家族というものになかなか恵まれない人だった。
それでも、私と会うときは彼女はいつも元気いっぱいだった。

去年、「入院しちゃった」と電話で本人から聞かされた。
乳がんなんて手術すれば治ると思ってたけど
彼女の家の店がつぶれて借金まみれになっていて
病院にも行けずに働き詰めだったとあとから知人に聞いた
そんな大変なことになっていたなんて知らなかった。

すぐにお見舞いに行ったときは既に手遅れだったらしい
それから1ヵ月後、彼女の旦那から「病室まできて欲しい」と電話があった
病室に入って見た彼女は元気だった頃の面影はもうなかった
点滴で、ものすごく浮腫んでいるのに足とかは
信じられないくらいやせ細って酸素マスクまでつけてた

なんて言葉を掛けていいかわからなくて一言「来たよ。」としか言えなかった。
「ありがとう、ごめんね。こんな格好でごめんね」と何度も言う彼女
彼女の前では絶対泣かないと決めてきたのに涙があふれた
「こんなところまで来させてごめんね」そう言って私に手を差し出してくれた
弱った体とは思えないくらいの強い力で手を握ってくれて
「絶対、幸せにならないと駄目だよ。幸せになってね。絶対だよ」
私は「うん」としか返事ができなかった

その2日後、彼女はなくなった。
生前一度だけ私に笑って言ったことがある。
「がんばっても、がんばってもどうしても悪い方へと行ってしまうこともあるんだね」
今まで、沢山つらいこと大変だったことお疲れ様でした
最後に会ったときもまともに話せなくてごめんなさい。何もできなくてごめんなさい。
私、がんばって幸せになるよ。もっとたくさん話がしたかったよ。

10 :大人になった名無しさん:2006/03/11(土) 06:13:21
age

11 :大人になった名無しさん:2006/03/25(土) 02:58:10
age

12 :大人になった名無しさん:2006/03/25(土) 23:19:54
みんな色々経験してるんだな!

13 :大人になった名無しさん:2006/03/26(日) 11:31:11
ドラマのような事って本当にあるのですね。もう8年も前の話です。
当時、付き合ってた彼女は自分よりも2つ下で色々と僕に頼ってくることがおおかった。
僕も、当初はそれが可愛くて仕方なかったのですが、一緒に居るにつれて段々と煩わしく感じてました。
次第に一緒に居るのが苦痛になり、自然と同性とつるむ時間が多くなってました。
何かと理由をつけては会うのを断り、どんどんと距離をおいていきました。
忘れもしません、4月16日です。夜中に電話がなりました。眠たかった僕は無視をしてそのまま寝てしまいました。
今考えれば、あの時の電話に出ていれば未来は変わっていたのだと思います。
彼女が襲われて犯されて、助けを求めていたことを知ったのは3日後で、留守電に喚き声とか弱い声でタスケテ
とだけ残されていたのを聞きました。しかし、もう、遅すぎました……
一人で抱え込んで、自分だけで悩み抜いて、彼女は自ら命を絶ちました。
もっと早く留守電を聞いてたら、あの時電話にでていたら、もっと大切にしてあげれたら
後悔ばかりが込み上げて、自分が凄く腹立たしくて、自分が凄く情けなくて、ただ涙がずっと溢れて止まりませんでした
本当に、ごめん。ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、


14 :大人になった名無しさん:2006/03/26(日) 12:00:50
私は、おじいちゃんのときもおばあちゃんのときもそんなにわかんなかったんだけど
(ちっちゃかったからかな?)
おじさんが亡くなった時すごく後悔した。
何もできなかった。
肺がんで苦しんでて痛くて食いしばってる顔見たときホント切なかった。
生きてることがきっとおじさんにとっては苦痛だったんじゃないかな?
「生きてる」ことに感謝しつつ毎日繰り返される痛みに何も言わなかった。
私はただお見舞いに行くだけ。まだあの頃は身内に打ち解けられなかった私は
話をする事さえ難しかった。孤独だった。
おじさんが病気になることで少しづつだけど壁がはがれてった。。。。
なのに、死んじゃった。
何もできなくて、言いたいことも言えずに・…。
後悔って積もり積もってくもんですね
私はまだずるずる後悔して年々薄れると思いきや濃くなっていく。
だから、大切にしてあげてください。
「今」しかないんだよ。「今」を大切にしなきゃ。。。。。
絶対後悔すると思います

15 :大人になった名無しさん:2006/03/28(火) 23:53:00
お世話になった人が去年末期癌で亡くなった。せめて心だけでも元気になるようにと本を作り始めて出来上がった日に亡くなった。もっと早く治療法を探したりもっと早く本を作っていたらよかった…。ごめんなさい。そしてありがとう。

16 :大人になった名無しさん:2006/04/13(木) 00:32:01
(´;ω;`)ウッ…

17 :大人になった名無しさん:2006/04/13(木) 14:56:12
13 その気持ちを忘れるな同じ過ちを繰り返すなよ

18 :大人になった名無しさん:2006/04/23(日) 20:50:01
叔母さんが病院で入院してるとき
会いに行こうといわれ、めんどくさいながらも行った
でも行ったら何故か顔あわせたくなくて挨拶程度しか話さなかった

その次の日叔母さんは帰らぬ人となった

葬式で何であの時会わなかったんだろうと後悔してた
母を見たら大泣きだった

何かと迷惑掛けたな 優しかったな

今でも思い出すと涙が出るよ

19 :大人になった名無しさん:2006/04/26(水) 15:32:39
高校2年 12月
同級生が亡くなった。原付に乗っていて(校則で禁止されているが)
踏み切りで電車にはねられた。

その同級生は、どちらかというと授業中の態度が悪い方で、
先生に注意されることが多く、雰囲気が少し悪くなることもあった。
その同級生の悪口を(自宅で)言っていたことを後悔した。


20 :大人になった名無しさん:2006/04/28(金) 22:26:20
俺の親戚のおばさんは2004年の3月ごろに亡くなった。
おばさんの病名は「悪性リンパ腫」という血液の癌。
この病名が判明したのは2003年の10月ごろだった・・・。

赤ん坊のころからずっといとこの二人の姉さん
とともに俺の事を思い続けてくれた人が重い病気に
かかっているなんて・・・と深刻な気持ちになった。

病院に入院してるおばさんにお見舞いに行った時俺は
思わず言葉を失った・・・。
おばさんの髪の毛が抗癌剤の作用によって髪がほとんど
残っていなかった。俺は涙をこらえきれなかった・・・。

年が明けて俺は試験に受かって4月から高校に入る事になった。
僕は皆に受かった事を打ち明けた。もちろん親戚のおばさんにも・・・
だけどおばさんがその事を知った時は病気が体を蝕んでいる
とても危険な状態だった。

桜のつぼみが徐々に開き始めたころ、俺の電話が鳴った。
おばさんが危険な状態だという事が分かった。
母と祖母は支度をして家を飛び出していったが
俺は留守番してなさいといわれた・・・
この時俺もついていけばよかったと思い出すたびに思ってしまう・・・。

深夜に帰宅した父と母、祖母が深刻な表情で台所に集まっていた。
すると父は俺に「おばさんは、もう疲れたって・・・。」と言った。
僕は泣きあかした・・・。その次の日、おばさんは天国へ旅立っていった。
一枚の手紙を残して・・・

いつもおばちゃんを心配してくれてありがとう。
どういうわけか病気にかかってしまいました。
抗癌剤の作用で吐き気を伴っています。
高校進学できてよかったね。
お父さんが普段家にいないので男は○○ちゃん
一人だからお母さんとおばあちゃんをしっかり守ってあげなさい。
おばちゃんも頑張るから・・・約束ね。

この手紙は俺の机の中に大切に保管されている。

21 :大人になった名無しさん:2006/05/05(金) 18:06:27
ゴールデンウィークage

22 :大人になった名無しさん:2006/05/05(金) 21:43:58
ばあちゃんへ。 いつも口うるせぇし大げさだし腹が立つばあちゃん。 大嫌いではあるけどいつも家の事してくれる働き者。 ありがとう。 口うるせぇのはしょうがねぇかな。 長生きしてな。 健康でいてな。

23 :大人になった名無しさん:2006/05/20(土) 20:31:20
尼崎・・・・
 何で あの日に限って
電車で行かせたんだろう
普段通り 俺が送ってあげれば


24 :大人になった名無しさん:2006/05/20(土) 20:51:15
私が20歳の時に父が亡くなった。
調子が悪いと病院を訪れてから一週間後に末期癌発覚、余命半年と宣告されたが、3ヶ月で逝ってしまった。
伝えたいとかしてあげたかった事と云うよりは、沢山話をしたかった、かな。
大人になり、折々の節目に必ず思う事が
『こんな時、父なら何と云うだろう?どう指南してくれるだろう?』
なのだ。
だから、色々な話を沢山聞きたかったし、自分の話も聞いて欲しかったとしみじみ思う。

25 :大人になった名無しさん:2006/05/21(日) 13:54:27
たった一人の姪だからと、可愛がってくれていた叔父。
倒れて、手術し、退院した後、「一緒に食事しないか?」と誘ってくれたのに、職場の人との約束を優先してしまった私。
しばらくして、叔父は再度入院。
全身転移の末期癌だった。
その後はみるみる衰弱していき、臨終にも立ち会った。
悲惨だった。
なんで、誘われた時、一緒に食事に行かなかったんだろう。
今でも、あの時の事、時々叔母に言われる時がある。
イケメンで優しくて、家庭的で面白かった叔父。
いい人は早くに亡くなるもんだな。

26 :大人になった名無しさん:2006/06/26(月) 19:28:33
age

27 :大人になった名無しさん:2006/06/26(月) 21:26:45
祖母に、母が有利になるような遺書を書かせておけばよかった。
そうすれば、実家を失わずに済んだ。
実家を奪った母の姉妹が憎い。
位牌には絶対会わせないようにしている。

28 :大人になった名無しさん:2006/06/27(火) 10:24:34
小学校5年の頃釣りがクラスで流行って、俺もじいちゃんに釣りに連れてってくれー!て
電話したんだ。俺が釣りに興味を持った事が嬉しかったのか、じいちゃんは俺に
釣り道具一式買って家に遊びに来てくれた。
普段起きないような早朝にじいちゃんと釣りに行ったけど、全然釣れなかった。
それから何回もじいちゃんに釣りに連れて行ってもらったんだけど、魚を釣る事はできなかった。
その内クラスから釣りブームも去って、当時流行に敏感だった俺は次第に釣りから興味を無くしていった。
小学校卒業間近になって、「あんたらに隠してたけど、おじいちゃん死んでん。今日、今からおじいちゃんのお葬式行くで」
て言われた。愕然とした。あまりに急で実感なかったけど、葬式に行くとじいちゃんの写真が飾ってあって、それを見て泣いた。

卒業式も終わって、中学の入学式までの間に1人でじいちゃんに初めて連れていってもらった池に釣りに行った。
一匹だけ小さな魚が釣れた。すごく嬉しかったけど、じいちゃんの前で釣れなかった事にすごく後悔した。
あれだけ連れていってもらって一度も釣れなかったってのが・・・今は年に数回いくくらい。

29 :大人になった名無しさん:2006/07/31(月) 09:00:11
2003年 僕はたった1人の大好きな人の命を
  救うことが出来ませんでした

30 :大人になった名無しさん:2006/07/31(月) 10:54:01
彼女が自殺しますた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

学校でいじめられてたそうです。

31 :29:2006/08/01(火) 08:56:57
大好きな人がいなくなるのは、どうしてこんなにも辛いんだろう

眠りから覚めるといつも泣いています


32 :大人になった名無しさん:2006/08/06(日) 06:33:44

僕にできる事はあまりにも少なすぎました



33 :大人になった名無しさん:2006/08/10(木) 13:57:22

忘れもしない君がしてきた事を



34 :大人になった名無しさん :2006/08/10(木) 14:03:09
誰か白い粉を分けてください!


35 :大人になった名無しさん:2006/09/06(水) 02:54:04
人工呼吸器装着を拒否すべきだった。
悲惨すぎる。
治療の術が無いのに無理やり延命して、医者の自己満足だけ。


36 ::2006/09/12(火) 16:43:30
私は今年40才になります、彼は54才でこの世を去りました、付き合いだして2年半突然の別れで8ヶ月経ちますがいまだに彼の死を受け入れられず悲しんでいます
背が低くぽちゃぽちゃした身体でしたが健康で元気にしていたのに肺炎をこじらせ病院に行った時はもう手遅れでした
あっという間に逝ってしまい私が会ったのは葬儀の日でした、彼が亡くなる時私は入院したことも知らず側にも居られませんでした
毎日思い出しては涙しています、亡くなった直後は辛く寂しく私も彼の後を追い自殺することを考えていました
でも出来ませんでした、友達がいてくれたから…

37 : :2006/09/22(金) 11:14:58
アハハハ 死ね(笑)

38 :大人になった名無しさん:2006/09/22(金) 18:21:46
>>37
お前みたいに軽々しくそういう事言う奴が本気で憎い。

39 :大人になった名無しさん:2006/09/22(金) 22:16:57
なんかこのスレ見てたら家族とかもっと大事にしようと思った。

40 :大人になった名無しさん:2006/09/22(金) 23:26:15
アフォはすっこんでオナニーでもしてろや!
ヴォケが!

41 :大人になった名無しさん:2006/09/22(金) 23:41:15
そうだよ 死ね(笑)
ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ〜(笑)


42 :大人になった名無しさん:2006/09/23(土) 09:47:47
何れにしても、…

43 :大人になった名無しさん:2006/09/24(日) 02:15:32
19歳の時父方の祖父が死んでもう3年になるけど
全く実感がわかなくて、悲しいともなんとも思わない。
祖父には可愛がってもらったし、自分がそれほど薄情な人間とも思わないが
本当に当時も今も実感が0なので全く泣けない。
死別に限らず俺は人との別れで悲しんだ記憶が全く無い。
そういう時が来たんだな。と普通に受け入れるし、反面実感も薄い。
ひょっとしたら俺は親や恋人が死んでも、こんな人間なのかもしれない。

44 :大人になった名無しさん:2006/10/08(日) 19:39:07
>>40
↑この馬鹿は、他のスレにも同じレスしてる引きこもりニ−トw
キンモ〜!おまえどっか逝けや!

45 :大人になった名無しさん:2006/10/20(金) 23:28:19
祖父が元気なうちにもっと色んな話を聞きたかったと公開しています
趣味とか昔のこととかもっと話しとけばよかった...

46 :大人になった名無しさん:2006/10/21(土) 01:45:36
リリー・フランキーの東京タワーを読んだら、
なんかこのスレを思い出した…。

47 :大人になった名無しさん:2006/10/31(火) 20:49:35
昨日、親友の祖父がなくなりました。
いま親友は地元に帰り、先程メールでその話を聞きました。
私はまだ祖父母も親も健在なので、何と声をかければいいかわかりません。
おじいちゃん子なのでとても辛いと思います。
スレチですが何て言えばいいかアトバイス下さい。
ここの人たちなら優しい言葉がわかると思い来ました。
携帯からすいません。

48 :大人になった名無しさん:2006/10/31(火) 21:11:14
>>47

親友か…

なるべく普段通りに接するのがよろし

親友の言葉を待て

聞いてやれ

友が泣けば泣いてやれ
酒を酌み交わしたければ付き合うべし

それでいい



49 :大人になった名無しさん:2006/11/01(水) 00:08:44
>>48さん
有り難うございます。

変に気を使ったりしないようにします。

本当にありがとうございました。

50 :大人になった名無しさん:2006/11/01(水) 02:14:14
10数年前のことだが、母方の祖母が亡くなった
曾祖母はいつも俺に優しくて、いつも小遣いをくれた
俺は小遣いをもらうよりも、曾祖母と話す方が楽しくて嬉しかった
曾祖母は毎日折り鶴を作ったり、毛糸を使って編み物をしていた
曾祖母は息子夫婦と同居していて、俺は息子夫婦に「小遣い目当てで毎日来るな」と言われ、生まれて初めて本気で怒った
曾祖母は俺と曾祖母の息子の口論を黙って見てた
それからも俺は毎日足繁く通った
財布を取り出そうとした曾祖母に「小遣いはいらないから話そうよ」と言った時、曾祖母はとても哀しそうな顔をした
それから数ヶ月後、曾祖母は癌で入院した
「すぐ帰って来るから、その時にいっぱい話しを聞かせてくれ」と言いなが俺の頭を撫でた
それからすぐ手術になって、曾祖母は寝たきりになってしまった
最初のうちは毎日のように見舞いにいったが、俺を煙たがる曾祖母の息子に会いたくなくて見舞いに行く回数も減った
晩年になると、曾祖母は話すこともできなくなっていた
俺は「どうせ話せないなら」と思って、全く見舞いに行かなくなった
そして曾祖母が亡くなった時、晩年に見舞いに行かなかったことを物凄く後悔した
俺が向こうに行った時は真っ先に謝りたい

51 :大人になった名無しさん:2006/11/12(日) 01:29:28
 彼女がいなくなって、七日がたちました。
 病気が分かってから、ちょうで1年でした。
ここ半年は、満足に話しもできず、会うたびに衰弱していく様子に覚悟はしていたけれど、電話をもらい会いにいった時は、崩れ落ちる様に泣いていた。
 親戚でもないのに側にいさせてもらい、一晩ずっと側にいて話しかけたりして泣いていました。
 泣いても、泣いても、後から涙が溢れてきて、辛くて辛くてたまらない。
 性格も好みも全然違う二人だったけど、大切に思う物が一緒だった。
 遠く離れて住んでいてもお互いに何かあると、飛んでいく。そんなふうにねっこでつながっていたはずなのに…
 取り残されてしまった私は、これからも、生きて行かなければならない。

 どうしよう。

どうすれば、いい?

 壮絶な痛みの中でも、治る事だけを考えていた彼女その彼女がいつか迎えに来てくれる時まで、そして、迎えに来てくれたとき、
  「よく、頑張った」
と、誉めてもらえる様に
つまづきながらも歩くしかないよね。
 愛しているよ。
今も、これからも…。
また、会おうね。      絶対だよゥ

52 :大人になれなかった名無しさん:2006/11/13(月) 18:56:05
>>37>>41に書き込んだ者ですが、傷つけるような事を言ってしまいました。
ごめんなさい

53 :大人になった名無しさん:2006/11/15(水) 01:24:33
 》57サン ごめんなさい。と、言えってくれるあなたでよかった。
 ここにきた人たちは、私を含めて、心がぼろぼろで、でも、生きていかなくてはならない人たちが、心の内を吐き出しに来ているのだと、思います。
 本当に辛くて、辛くて堪らないのです。

 もう、軽々しく 「死ね」などと、いわないあなたに変わってくれることを信じて…

54 : :2006/11/15(水) 13:35:05
石原慎太郎がフジTVの6時間生放送の番組で
自殺予告の手紙を書いた人に対して「死ねばいい」と発言した件について

55 :大人になった名無しさん:2006/11/23(木) 17:44:44
父が亡くなってから、父の不器用な愛情表現や優しさに気がつきました。
生前は嫌なとこばかりを非難して何年も会いに行きませんでした。
私の本当の父ではなかったのですが、初めて会ったあの日から一生懸命に私を受け入れてくれようとしていたことを、今大人になってから気がついたのです。
21年間、私の父でいてくれてありがとう。
皆さんもご両親を大切にしてください。

56 :36:涙:2006/11/30(木) 21:28:17
私は恋人との別れで後悔していることがあります、私の誕生日を忘れている彼に腹を立て、具合が悪いと言う彼からの連絡を無視してしまい
その数日後に連絡が付かなくなり、連絡があったのは一ヵ月後……そう彼のお兄さんからでした
あの時彼の元へ行っていれば…
とても後悔しています、もしあの時に行っていれば…今彼が隣に居たはず「涙」

57 :大人になった名無しさん:2006/12/03(日) 01:42:55
お父さんごめん。
俺が小さいときの父親は鉄拳制裁の怖い父親だった。ホント畏れ多くてなかなか喋ることさえできなかった。
でも優しい父親だった。小学校の時に大量の2Lのペットボトルが授業で必要だって急に言い出したのを聞
いて、夜中近所の公園とかのゴミ箱あさって明け方近くまで探してそろえてくれたり。
でも、中学校からお酒が入ると暴れるようになって少しずつ嫌になっていった。それまで
あった尊敬できる父親像が大きすぎてその変わり様を受け止めたくなかった。
高校はそんな父親から逃げるように野球留学で遠くに行った。
その練習中に部長が青ざめた顔で俺のところに走ってきた。
3時間の移動中に練習の疲れもあって夢を見た。小学生のころにやった父親とのキャッチボール。
まったく野球経験のない父親は下手だったけど一所懸命相手してくれた。安いグローブで痛かった
だろう。でも、そのとき俺はそんなこと考えもしないで全力投球してた。でも父親は笑顔だった。
そんな夢をみてた。
実家に着いたらお母さんは泣いてた。弟は呆然としてた。お父さんは冷たくなってた。
一度父親は俺の高校での試合を観に来ようとしてたらしい。2年生だった。でも、試合会場を聞かれ
たときに適当に答えて間違った球場を教えてしまっていた。来るなんて思ってもいなかった。父親は
運転が苦手だし、母も仕事をしていたから・・・。大失敗だった。でも、その時はまた3年になったら観
に来られるし大丈夫だろう。と思ってたのに。2度と見せることができなくなるなんて。ほんっと俺は
バカな息子だ。
もっとキャッチボールしときゃよかった。
もっと話しときゃよかった。
もっと一緒に釣りに行きゃよかった。
もっとお父さんの好きなカラオケいっときゃよかった。
もっと近くに居れば良かった。
もっともっと一緒に居ればよかった。
ほんとごめんなさい。天国に俺が行けたら、まずはキャッチボールしよう。
あの頃よりもだいぶ球速くなったから見てみて。
お酒も飲もう。すっごい楽しみにしてたよね。一緒にお酒飲んで語ること。
小学校くらいからずっと楽しみだなぁ、楽しみだなぁって言ってたもんね。
なんであの頃の俺はあんなんだったんだろう・・・。後悔しても後悔しきれない。



58 :大人になった名無しさん:2007/01/03(水) 23:39:01
昔住んでた私の家の近所に幼稚園があって、とても温和でかつ子供が
とっても大すきだった小太りで眼鏡をかけた園長先生。
プロテスタントの教会の牧師先生をしながら園長という激務にかかわらず
幼稚園に来るやたちまち輪が出来るくらい人気者だった園長先生。
私が幼稚園に入って、我がままなヤンチャリカ状態でも決して怒らず
やさしく対応してくれた園長先生。
相撲やったりして相手にしてくれた園長先生。
行事がある度に一緒になって楽しませてくれた園長先生。
教会のバザーや日曜学校に来ると喜んで迎えてくれた園長先生。
しかし、私たち家族が遠くへ引っ越した後に何年かして園長先生もまた
別の教会へ赴任したと手紙が来たときには、いつまでも元気に頑張って
ほしいなと思っていた。




それからさらに十数年後、私は生まれ故郷に戻ることを決めて
幼稚園を訪ね、先生たちの消息を聞いた。
そしたら当時の園長先生は既に召天され、受け持ちの先生たちも皆
辞めて教会の礼拝を守ってると聞き、引っ越してすぐの日曜に
礼拝がてらかつての先生たちと再会した。
その後、もと園長先生の未亡人宅を訪ね、いろいろと話をしたけど
先生は脳梗塞を患って牧師を辞めたこと、その後も車椅子で遠くの
母教会に行ってたこと、そして最期には血管が詰まる病気で召され
ていったことと晩年の園長先生の話を聞いた。
あともう一歩で再会できたのに!と思うとマジで涙が出てきた。
しかし、元気な頃のお姿だけでよしとしたらいいのでないか、と思
いつつ、間もなく私は洗礼を受け、いまでは神の家族の一員として
マッタリした日々を送ってます。
最後に、私に癒しというのを教えてくれた大恩ある先生、本当に救
ってくれてありがとうございます。いつまでも見守ってください。

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